3-17 続・頭もちと開き戸
開き戸と言うものは二つの蝶番(ちょうつがい)で支えられていますので、左右にしかひらきませんが、人間の頚椎は多関節であるので、三方向に自由に曲がってしまう所が厄介です。
また、我が家のドアーは170度開き、自分の首も170度と書きましたが、これについては計測していないので、あてずっぽうな数字に過ぎません。
何れの流派でも、取り掛け、手のうちを整えた後、物見をさだめ、弓構えをとって打ち起こしに至ります。ここで、正面打ち起こしでは、左右対称に整えて首を真っ直ぐにした上で、物見を定めるので面向けは真っ直ぐになりやすいです。
一方斜面打ち起こしの日置流各派(竹林も含む)は、取りかけ、手の内を整えた後、左斜面に送って弓構えを取った後に、物見を定めます。このとき、目線は弓手の手の内を確認して矢先を伝って的を見定めるのが掟(おきて)です。
そうするとき、面はやや下を見てから的方向に向くことになるので、面が俯き(うつむき)、懸かる面、的に突っ込む面になる傾向があると思われる。これは自分だけのことではないような気がします。
即ちドアが少し下がったまま開くのに似ています。斜面打ち起こしではとくに注意が必要と思います。
面向けがきちっとしているのは美しいですが、他に集中すると面が緩みがちになります。そこで、緩んだ面をどうするかについて、この四方山話の地の巻の「高さの狙い」において「きちっと向けるのは望ましいが、緩んだ面を向け直すよりも、それをいつも一定にするべき」という主旨のことを書きました。
そこで、物見(首筋)が緩んでしまった場合、会に入った後で顎を締めたり持ち上げたりして修正するのは、正しい首筋の角度が判らなくなるので、好ましくないと思います。首筋が緩んだ射は既に失敗であり、修正して覚えこむべきでありません。やり直して最初から首筋を鉛直にして、正しく向け直す必要があります。Z軸が狂っているのを、途中で修正するのは、どれだけ修正すれば原点に戻れるか難しいと考えているからです。
もうひとつ、緩んだものを会で締め直す安易さが身に付くことを恐れるからです。そのような場合には、自分の正しい狙いも安定しないので、自分の会のやごろ、詰めあいが判らないまま適当に離すことになります。
これに比べ、首筋の狂いがなくて、面向けが単に緩んでいる場合については罪がかるいので、いつも左向け左で、向けられるいっぱいまで開くのが良いでしょう。
これも、開き戸の蝶番を鉛直に調整して、無理なく開くところまで一杯に開いてストッパーを掛けることで、単純化をはかることができると考えています。
櫻井 孝 | 2002/07/03 水 00:00 | comments (0)
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